・この「戦務帳」を開設して以来、こんなにつらい気持ちで書き始めたことは今までにありません。この日、練習場に集まったメンバーは、とても悲しい知らせを耳にしました。2月18日の未明、当団の現役団員である上坂俊行さんがお亡くなりになりました。まだ41歳という若さでした。突然の訃報に皆、にわかには信じられないといった態で、ただただ呆然とするばかりです。
・上坂さんに初めて会ったのは、私が高校1年のときだった。上坂さんがOBとして、豊高吹奏楽部の定演に出るために練習に来てくださったときだった。当時から今と全く変わらないおだやか~な性格で、そのキャラクターを、同じくOBの肉屋の和田さん(現フリーサウンドピアニスト)から、しょっちゅうからかわれとんなった。二人はいつも仲良しさんだった。ある練習日、みんなでお昼ごはんを食べに行ったとき、私と友達と和田さんと上坂さんとが同じテーブルについたことがあった。そのときも和田さんは上坂さんに「とっさん、もうちょっとはよしゃべってみぃや」「なんだいや。はよしゃべれれへんのかいや」とか、いろいろと逆らっとんなったんだけど、上坂さんはぜんぜん怒んなれへんの。和田さんが半分あきれて「とっさん、怒ってもええんだで。怒ったことねぇんかいや」と聞くと、上坂さん、にやーっと笑って「…わしー、怒り方、知らんしけー…」。この会話を同じテーブルで聞いてた私たちはもちろんのこと、周りのテーブルにいた他の豊高ブラス部員やOBの人たちも、みんな大爆笑。上坂さんのほのぼのした性格を語るエピソードとして、長年語り継がれた。
・私が豊高に在籍した3年間、豊高定演には必ず上坂さんは出てくださった。バリサクの私、バスクラの同級生・藤村さん、ファゴットの上坂さんと3人で並んで座っていて、合奏練習の最中に指揮者の目を盗んでぼそぼそとおしゃべりして、とても楽しかったのを覚えている。上坂さんはけっこうギャグギャグ星人で、ぼそりぼそりと一言ギャグを発するのが得意だった。豊吹で私が指揮者になってからは隣で吹く機会が減り、このギャグがなかなか聞けなくなってしまったのを残念に思っていた。
・このときのおしゃべりの名残か、上坂さんは未だに「なぁなぁダンちゃんダンちゃん」と、高校時代の呼び名で私を呼んでくださっていた。今では、この名で呼んでくれる人も少なくなった。妙にさみしい。
・上坂さんは、実はリコーダーの名手。中森明菜の大ファンで、明菜の曲を何曲かたてつづけに吹いてくんなったのを聴いたことがある。ソプラノリコーダーで。そして、実はドラムスも叩ける。豊高の部室のドラムセットを♪ズッズッチャッチャッズッズッチャッチャッと4ビートで叩いとんなるのを、居合わせた現役高校生たちが聴いて、尊敬のまなざしで見ていた。そして、その場の誰かが「うわぁ、上坂さん、ドラムス上手ですねー」と言ったところ、上坂さん、にやーっと笑っていきなり♪ツクツクチャカチャカツクツクチャカチャカと、16ビートを激しく刻み始めなった。すっごい得意そうだった。すごいほほえましかった。
・今から十年くらい前のことだったか、まだ私が就職したばかりで豊吹に入っていない頃、豊岡市民音楽祭に豊吹を聴きに行ったことがあった。市民会館のロビーで上坂さんとばったり出会い挨拶してたら、豊高で私の二つ上の先輩だったユーフォ藤本さんも聴きに来られてて、ロビーで立ち話が始まった。3人とも久々に会う懐かしさで話が弾んだ。藤本さんと口をそろえて「いやー、懐かしい。それにしても、上坂さん、昔と全然変わっとんなりませんねぇ」と言ったら、上坂さん、にやっとスマイルをまた浮かべて「…わしー、高校のときから三〇(歳)だしけー…」と返された。また、その言い方が淡々としてておかしくって。ますます、その場の会話が盛り上がったことは言うまでもない。
・上坂さんがご結婚されて間もない頃、奥さんを連れて音楽館(豊岡市内の楽器も売ってる音楽喫茶)に来られたとき、たまたまお会いした。そのとき、音楽館のマスター・松森さんが「どうだー?上坂くん。お子さんの方はまだかいやー」と新婚夫婦への定番質問をされた。またまた上坂さんの顔には、あのにやっとスマイルが!! そして、一言ぼそり。「…今、しこみ中…」。松森さんが「だぁっはっはっはっはー、しこみ中かいやー。こりゃええわー」と豪快に笑って店中に響いた。私も大笑いさしてもらった。
・おととし、伊藤康英作曲の『吹奏楽のための抒情的“祭”』を取り上げて、コンクールで演奏した。この曲はファゴット大活躍の曲で、まったくの楽器一本丸裸のソロが何回か出てくるものだった。上坂さんは、7月の練習中、他の曲と変わらないような様子で、淡々黙々と吹いてらっしゃった。そして当日演奏が終わり、控え室に全員集合して軽いお疲れさん会をしていたときのことだった。メンバーの一人一人が一言感想を言うときに、上坂さんは「今回、吹奏楽のオリジナル曲にしては、ファゴットが目立てて良かったです」とニコニコしておっしゃった。あ、淡々としているように見えたけど、やっぱり「このソロ、美味しいぃ~」って思いながら吹いとんなったんだ、とそのとき初めて分かった。上坂さん、ほほえましいなぁ、と改めて思った。
・去年、豊吹で「サンダーバード」を練習していたとき、「この曲、前に演奏したのはいつだったっけ?」という話題になった。上坂さんとテナーふじおかが「平成7年、平成7年!」と見事に答えた後、二人の間でしばらくその頃のことの話が盛り上がった。ふじおかの隣の席に居てその様子を見ていたペットたにむらが、後で私に「上坂さんって実はおもしろい方なんですねー。あの時初めて知りましたー」と言ってきた。私は「そうだでー。練習中、近くの席でおしゃべりしたら、すごいおもしろいんだでー。これから、そういうおしゃべりできる時をどんどん見つけてみー」と、たにむらに言った。まだ、豊吹に入って日が浅いメンバーの目には、上坂さんは地味でおとなしい方としか写っていなかったのかもしれない。これからお付き合いの始まるメンバーもいたのに…。
・ファゴットをこよなく愛された上坂さん。遠方の管弦楽団まで足を運んでクラシックを演奏する機会を自らつくっていらっしゃいました。吹奏楽の中でポップスをやるときはクラリネットに持ち替え、その時々のジャンルに合わせた音楽の楽しみ方を模索していらっしゃいました。豊吹においては本当にかけがえのない存在で、オケの演奏会が終わって7月になったら必ずいてくださる方でした。この「いて当たり前の存在になる」ということは、一見何でもないことのように思えて、実はとても難しいことなのではないでしょうか。上坂さんのキャラクターから醸し出される穏やかな雰囲気、安定感。そして、一つの活動をやり続けていく静かな継続力。上坂さんの持つこういった魅力の数々が、決して派手にではないけれども、地味で穏やかながらも力強く、私たちの印象に残りつづけてきた結果成し遂げられることなのではないでしょうか。私個人にとっても、豊吹全体にとっても、忘れられない方となるでしょう。
・ここで、上坂さんのご冥福を祈らなければいけないのは分かっているけれど、もう一度上坂さんに会いたい。夢でもいいから出てきてくれ。こんな思いは単なるこちらの勝手なエゴイズムであることは分かっているけれど、こんな思いは安らかな眠りの妨げになるかもしれないけれど、あまりにも突然な悲しい別れである故に、上坂さんの面影を追う気持ちが止まらない。涙が止まらない。